中島敦といえば高校の国語の教科書には必ず掲載されている「山月記」の作者です。
去年は生誕100年ということで、様々な本が出ていました。
というか、30代で夭逝したので、著作もあまりないのです。
有名なのは「山月記」と「名人伝」位でしょうか・・・
で、いつにも増してその名前が目に入るので、
「山月記」にまつわることが書かれている新書を読んでみました。
作者の島内さんは東大の国文科を卒業した方です。
内容は、新書だから仕方がないのでしょうが、
リフレインなフレーズが多すぎてくどかったぁ
「山月記」は中国の科挙であった李徴が、自らの才能を信じて
詩人になったものの、うだつが上がらず、また役人に戻るも
昔の部下は出世し、それらの命を受けることを恥、気が狂ったようにして
山中に消え、気が付けば虎と化していたという話し。
これはもともと、中国の「人虎伝」の翻訳であるらしい。
「人虎伝」は、今東光や佐藤春夫も翻訳しているが、なぜ
中島敦のものが教科書に掲載されるに至ったかを詳しく著しています。
佐藤春夫は、虎になった主人公がたまたま旧友と会い、
残された妻子を頼むということにスポットを当て、
友情物として翻訳しています。
中島敦は、李徴のプライドの高さゆえの生き方の不器用さ
臆病な自尊心と尊大な羞恥心をメインにし、
更には自分の生きざまを髣髴させるような自嘲気味な台詞を
駆使し、悲哀感を滲み出しているのが大きな違いです。
中島本人も李徴のような孤高の人で、今の東大を卒業したものの、病弱なため
一女学校の教師の職に甘んじていました。
しかし、自分はこれで終わることができないと小説を書き始め、
また、友人で文部省役人になった釘本氏の後押しもあって
死後、「山月記」が日の目を見たものです。
釘本氏は、戦後の日本語教育における言葉の乱れを正す
という部分に重きをおいて、きれいな日本語で書かれた物語を探していたのだそうです。
隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、
性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。
高校時代、漢文的で訳するのも大変だという思いがありましたが、
今思えば、出だしの部分を音読してもリズムがよく、
例えばNHK漢詩紀行ではないけれど、江守徹なんかに
朗読してもらえば素敵だなと思います。